🐶原告(X) 準備書面(1)

PDF版はこちら

次回期日令和元年12月18日午後1時20分
平成31年(ワ)第7514号 損害賠償請求事件
原告 (閲覧制限)
被告 国

令和元年 月 日


 東京地方裁判所民事49部乙B係 御中

原告訴訟代理人弁護士 作花知志 


準 備 書 面(1)

 

目 次


第1 答弁書「第2「請求の原因」に対する認否」について
第2 第1準備書面「第2 被告の主張」について
第3 原告の主張
 
 原告は,被告提出令和元年6月19日付答弁書及び令和元年8月30日付第1準備書面に対して,以下のとおり反論を行う。

第1 答弁書「第2「請求の原因」に対する認否」について
1 3項(1)イ及びウについて(答弁書3-4頁)
(1) 被告は,「訴状の記載によっても,民法820条は親の未成年者子に対する親権が基本的人権であることを前提とした規定であるとする根拠は明らかでない。」「訴状の記載によっても,民法820条は親の未成年者子に対する親権が基本的人権であることを前提とした規定であるとする根拠は明らかでない。」と主張する。
(2) しかしながら,例えばドイツ憲法6条(婚姻,家族,母および子の保護)の(2)は,「子どもの育成および教育は,両親の自然的権利であり,かつ,何よりもまず両親に課せられている義務である。」と規定している(甲16号証178頁)。
同規定において,「子どもの育成および教育は,両親の自然的権利であり」と規定している趣旨は,子どもの育成及び教育がいわゆる自然権(自然的権利)であること,それは国家により与えられた権利ではなく,憲法により与えられた権利でもなく,人が人として生まれたことで当然に有している権利であることを確認したことを意味している。
とすると,「子どもの育成および教育」が自然権(自然的権利)である以上,ドイツ憲法だけでなく,日本国憲法においても保障される基本的人権であることは明白である。
(3) また,イタリア共和国憲法30条(子どもに対する両親の権利および義務,嫡出でない子の保護)の1項は,「子どもを養育し,調育し,教育することは,その子どもが婚姻外で生まれたものであっても,両親の義務であり,権利である。」と規定している(甲17号証141-142頁)。
このイタリア共和国憲法30条1項も,ドイツ憲法6条(2)と同様に,「子どもを育て,教育し,しつけること」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,イタリア共和国憲法だけでなく,日本国憲法においても保障される基本的人権であることは明白である。
(4) 加えると,ポルトガル憲法の36条(家族,婚姻及び親子関係)5項は,「親は,子の教育及び扶養の権利及び義務を有する。」と規定している(甲18号証37頁)。
このポルトガル憲法36条5項も,ドイツ憲法6条(2)などと同様に,「親が,子の教育及び扶養を行うこと」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,ポルトガル憲法だけでなく,日本国憲法においても保障される基本的人権であることは明白である。
(5) さらに,ロシア連邦憲法の38条(家族の保護)2項は,「子どもに対する配慮およびその養育は,親の平等な権利および義務である。」と規定している(甲19号証340頁)。
このロシア連邦憲法の38条2項も,ドイツ憲法6条(2)などと同様に,「子どもに対する配慮およびその養育」を自然権(自然的権利)として保障するものである。そうであれば,それが自然権(自然的権利)である以上,ロシア連邦憲法だけでなく,日本国憲法においても保障される基本的人権であることは明白である。
(6) 付言すると,アメリカにおいては,「親の自己の子どもの教育を管理する権力等の人が婚姻し,家庭を設け,子どもを養育すること」は国家に対し主張する権利として判例法により形成され,憲法上保障される基本的人権として確立している(甲20号証569-570頁)。
従来アメリカ国家は,国家の目指す国民を作るために家族を支配したがっていた。1920年前後,学校で英語以外の言語を学習することを禁止する法律や,公立学校以外の私立学校への通学を禁止する義務教育法を州は制定した。そしてこれらの立法が違憲であるとして争われた連邦最高裁判例Meyer v. Nebraska, 262 U.S. 390 (1923)において裁判所は,人が婚姻し,家庭をもうけ,子どもを養育することは連邦憲法第14修正の自由にあたり,親には自己の子どもの教育を管理する権力があることを認めたのである(甲20号証569頁)。

参照:アメリカ合衆国連邦憲法第14修正第1節「合衆国において出生しまたは帰化し,その管轄権に服するすべての人は,合衆国親およびその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権または免除を制限する法律を制定しまたは執行してはならない。いかなる州も法の適正な過程(due process of law)によらずに,何人からも生命,自由または財産を奪ってはならない。また,その管轄内にある何人に対しても法の平等な保護を拒んではならない。」(甲21号証88頁)

このように,アメリカの判例法においても,親の子に対する権利(親の自己の子どもの教育を管理する権力等の人が婚姻し,家庭を設け,子どもを養育すること)は,ドイツ憲法6条(2)などと同様の自然権(自然的権利)であるとされていることが分かる。それは国家により与えられた権利ではなく,憲法により与えられた権利でもなく,人が人として生まれたことで当然に有している権利であることを確認したものであることを意味している。
とすると,それが自然権(自然的権利)である以上,日本国憲法においても保障される基本的人権であることは明白である。
(7) 最高裁判所大法廷平成27年(2015年)12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟)は,女性の再婚禁止期間の旧規定の内,100日を超える部分を違憲とした理由に外国法を引用した上で,次のように判示している。それは,外国法の存在が,日本国憲法の解釈に意味を与える立法事実であることを示している。
「また,かつては再婚禁止期間を定めていた諸外国が序々にこれを廃止する立法をする傾向にあり,ドイツにおいては1998年(平成10年)施行の「親子法改革法」により,フランスにおいては2005年(平成17年)施行の「離婚に関する2004年5月26日の法律」により,いずれも再婚禁止期間の制度を廃止するに至っており,世界的には再婚禁止期間を設けない国が多くなっていることも公知の事実である。それぞれの国において婚姻の解消や父子関係の確定等に係る制度が異なるものである以上,その一部である再婚禁止期間に係る諸外国の立法の動向は,我が国における再婚禁止期間の制度の評価に直ちに影響を及ぼすものとはえいないが,再婚をすることについての制約をできる限り少なくするという要請が高まっていることを示す事情の一つとなり得るものである。」
(8) そして,原告が訴状の4頁3項(1)イで引用した,親子の自然的関係を論じた最高裁大法廷昭和51年5月21日判決(旭川学テ判決)が「子どもの教育は,子どもが将来一人前の大人となり,共同社会の一員としてその中で生活し,自己の人格を完成,実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり,それはまた,共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は,その最も始源的かつ基本的な形態としては,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるのである」と判示したことからすると,日本法においても,親の未成年者子に対する親権は,憲法が保障する基本的人権であることは明らかである。その判示内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
また,原告が訴状の4頁3項(1)イで引用した大森貴弘「翻訳:ドイツ連邦憲法裁判所の離婚後単独親権違憲判決」常葉大学教育学部紀要<報告>425頁(甲7)においても,「諸外国に目を転じると,ドイツでは子を育成する親の権利は自然権とされ,憲法でも明文化されており,アメリカでは平等原則と適正手続により親の権利が人権として認められている。日本国憲法には親の権利についての明文の規定はないが,親子の自然的関係を論じた最高裁判決(旭川学テ判決)が存在していることや人権の普遍性等を根拠として,憲法上認められうると解される。」と指摘されており,その指摘を踏まえると,日本法においても,親の未成年者子に対する親権は,憲法が保障する基本的人権であることは明らかである。その記載内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
(9) また,東京高等裁判所昭和30年9月6日決定は, 「<要旨>元来親権は,血縁関係(養親子にあつては血縁関係が擬制されている)に基く親の未成年の子を養育するという人類の本能的生活関係を社会規範として承認し,これを法律関係として保護することを本質とするものである。」と判示している。その判示内容は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
(10) さらに,日本においても仙台地裁令和元年5月28日判決において,以下の判示がされている。
「人が幸福を追求しようとする権利の重みは,たとえその者が心身にいかなる障がいを背負う場合であっても何ら変わるものではない。子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」
「そして,憲法13条は,国民一人ひとりが幸福を追求し,その生きがいが最大限尊重されることによって,それぞれが人格的に生存できることを保障しているところ,前記のとおり,リプロダクティブ権は,子を産み育てることを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,憲法上保障される個人の基本的権利である。それにもかかわらず,旧優生保護法に基づく不妊手術は,不良な子孫の出生を防止するなどという不合理な理由により,子を望む者にとっての幸福を一方的に奪うものである。本件優生手術を受けた者は,もはやその幸福を追求する可能性を奪われて生きがいを失い,一生涯にわたり救いなく心身ともに苦痛を被り続けるのであるから,その権利侵害の程度は,極めて甚大である。そうすると,リプロダクティブ権を侵害された者については,憲法13条の法意に照らし,その侵害に基づく損害賠償請求権を行使する機会を確保する必要性が極めて高いものと認められる。」
このように,仙台地裁令和元年5月28日判決は,「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」と判示しているのであるから,子を産み育てること,さらには子の成長と養育に関わることである親の子に対する親権も,やはり幸福追求権を保障する憲法13条により保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈されるべきは明白なのである。
(11) なお,文部科学省のHPでは,教育基本法第4条(第4条(義務教育)第1条 国民は,その保護する子女に,九年の普通教育を受けさせる義務を負う。第2条 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については,授業料は,これを徴収しない。)の「義務を負う」の解説において,「親には,憲法以前の自然権として親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられているが,この義務教育は,国家的必要性とともに,このような親の教育権を補完し,また制限するものとして存在している。」と解説されている(甲22)。そこで「親には,憲法以前の自然権としての親の教育権(教育の自由)が存在すると考えられている」と指摘されていることは,日本法においても,親の未成年者子に対する親権は,憲法が保障する基本的人権であることを被告(国)自身が認めていることを意味している。そしてその記載内容により,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
(12) 付言すると,被告が乙2号証として引用している『新版注釈民法(25)』(有
斐閣,改訂版,2004年)(甲23)には,以下の記載が明記されている。その内容からすると,親の子に対する親権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。
①69頁の「820条 Ⅲ 監護教育の程度方法(1)」の箇所
「ただ,親権者の監護教育権は,子供の監護教育を受ける基本的人権に対応しつつ,親が子に対して有する前国家的・始原的な自然権であると見られるけれども(→Ⅴ)」
②76頁の「820条 Ⅴ 監護教育権の性質(1)(ア)」の箇所
「ドイツ連邦共和国基本法6条2項は「子供の育成および教育は,両親の自然の権利であり,かつ,何よりもまず両親に課せられている義務である。その実行に対しては,国家共同社会がこれを監視する」と規定しているが,親が親権者としてその子に対し有する監護教育権は,民法などによって創設されるものとしてよりも前国家的・始原的な自然権に由来するものと見てよく(教育権につき,田中耕太郎・教育基本法の理論[昭36]154),民法は私法上の立場においてこの権利を宣言しているものと見てよいであろう。」
(13) 憲法13条違反,憲法14条1項違反,憲法24条2項違反について
ア 憲法13条違反について
(ア) ドイツ憲法,イタリア共和国憲法,ポルトガル憲法,ロシア連邦憲法の諸外国の憲法及びアメリカ憲法判例が,親の子に対する権利を自然権(自然的権利)としてとらえていること,それが自然権(自然的権利)とされている理由は,親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味であること,そしてその点に照らすと親の子に対する親権は,日本国憲法下においても,同様に自然権(自然的権利)として,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成していることは明白である。
また,上でも述べたように、原告が訴状の4頁3項(1)イで引用した最高裁大法廷昭和51年5月21日判決(旭川学テ判決)も,「子どもの教育は,子どもが将来一人前の大人となり,共同社会の一員としてその中で生活し,自己の人格を完成,実現していく基礎となる能力を身につけるために必要不可欠な営みであり,それはまた,共同社会の存続と発展のためにも欠くことのできないものである。この子どもの教育は,その最も始源的かつ基本的な形態としては,親が子との自然的関係に基づいて子に対して行う養育,監護の作用の一環としてあらわれるのである」と判示しており,その判示内容からしても,最高裁大法廷昭和51年5月21日判決(旭川学テ判決)は,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権が,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成すると解釈する立場であることは明白である。
そのことは,上でも引用した仙台地裁令和元年5月28日判決が「子を産み育てるかどうかを意思決定する権利(リプロダクティブ権)は,これを希望する者にとって幸福の源泉となり得ることなどに鑑みると,人格的生存の根源に関わるものであり,上記の幸福追求権を保障する憲法13条の法意に照らし,人格権の一内容を構成する権利として尊重されるべきである。」と判示していることからも明白である。子の成長と養育に関わる親の子に対する親権は,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成することは明白である。
付言すると,上でも引用した『新版注釈民法(25)』(有斐閣,改訂版,2004年)(甲23)の内容からすると,親の子に対する親権が自然権(自然的権利)であり,日本国憲法においても基本的人権として保障されていることは明白である。その記載内容からすると,子の成長と養育に関わる親の子に対する親権は,憲法13条の幸福追求権の一内容として保障されており,またそれは憲法13条により保障されている人格権の一内容を構成することは明白である。
(イ) すると,民法819条2項(本件規定)は,離婚があくまでも夫婦関係の解消であり,親子関係の解消ではないにも拘わらず,一律に,夫婦の離婚に伴い,一方親から親権を全面的に奪う規定なのであるから,そこには立法目的と手段との間に,論理的関係自体が認められないことは明白である。
また,仮に離婚に伴い一方親の親権を失わせる必要性がある場合が存在しているとしても,そのような場合のために,民法は既に親権喪失制度(民法834条),親権停止制度(民法834条の2),管理権喪失制度(民法835条)の3種類の段階を分けた制度を設けているのであるから,あえて全ての離婚に際して,一方親の親権を,一律に全面的に失わせることには合理的な理由そのものがないことは明白である。その意味で民法819条2項(本件規定)は,立法目的と手段との間に実質的関連性を有していないことは明白である。
それらの意味において,民法819条2項(本件規定)が,幸福追求権及び人格権を保障した憲法13条に違反していることは明白である。
イ 憲法14条違反について
(ア) 上の「ア(憲法13条違反について)」で述べたように,親の子に対する権利が自然権(自然的権利)であり,親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味であること,そしてその点に照らすと親の子に対する親権は,日本国憲法下においても,同様に自然権(自然的権利)として憲法13条の幸福追求権及び人格権として保障されていることからすると,そのような性質を有する基本的人権である親権は,当然両親に平等に保障されなければならない性質のものであること,両親が平等に享受するべき性質のものであることも,また明白である。
親の子に対する愛情や,親が子の成長と養育に関わることで感じる幸福が両親について平等なものである以上,親の子に対する親権は,憲法14条1項においても,基本的人権として保障されていることは明白である。
また,仮にそれが基本的人権でないとされたとしても,憲法上尊重されるべき人格的利益であることは明白である。
そして,憲法14条1項は事柄の性質に相応して不合理な差別的取り扱いを禁止しているところ(最高裁大法廷平成20年6月4日判決(国籍法違憲判決),最高裁大法廷平成25年9月4日決定(非嫡出子相続分違憲決定),最高裁大法廷平成27年12月16日判決(平成25年(オ)第1079号,女性の再婚禁止期間違憲訴訟),親の子に対する愛情や,親が子の成長と養育に関わることで感じる幸福が,両親について平等なものである以上,それが合理的な理由なく区別されてはならないことは明白である。
すると,民法819条2項(本件規定)は,その両親について平等であるべき親権について,離婚に伴い一方の親のみが親権者となり,もう一方の親の親権を全面的に剥奪する規定なのであるから,それが合理的な理由のない区別であり,憲法14条1項に違反していることは明白である。
(イ) その民法819条2項(本件規定)の区別が合理性を有しないことは,上の「ア 憲法13条違反について」で述べたことと同様のことが指摘できる。
民法819条2項(本件規定)は,離婚があくまでも夫婦関係の解消であり,親子関係の解消ではないにも拘わらず,一律に,夫婦の離婚に伴い,一方親から親権を全面的に奪う規定なのであるから,そこには立法目的と手段との間に,論理的関係自体が認められないことは明白である。その意味で民法819条2項は,合理的な理由のない区別であり,憲法14条1項に違反していることは明白である。
また,仮に離婚に伴い一方親の親権を失わせる必要性がある場合が存在しているとしても,そのような場合のために,民法は既に親権喪失制度(民法834条),親権停止制度(民法834条の2),管理権喪失制度(民法835条)の3種類の段階を分けた制度を設けているのであるから,あえて全ての離婚に際して,一方親の親権を,一律に全面的に失わせることには合理的な理由そのものがないことは明白である。その意味で民法819条2項(本件規定)は,立法目的と手段との間に実質的関連性を有していないことは明白であり,合理的な理由のない区別として憲法14条1項に違反していることは明白である。
そして,民法819条2項(本件規定)は,離婚後,親の一方からは一律かつ全面的に親権を剥奪し,親の一方だけが子に対する親権を有し,子についての決定を行える地位を与えている。それは「特権」であり,憲法14条1項に違反していることは明白である。
ウ 憲法24条2項違反について
憲法24条2項は,「離婚・・家族に関するその他の事柄に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定している。
そして,婚姻の自由を憲法24条1項から導き出した最高裁大法廷平成27年12月16日判決(平成25年(オ)第1079号,女性の再婚禁止期間違憲訴訟)の立場からすると,憲法24条が人権条項であることは明白である。また,憲法24条1項は「婚姻は,両性の合意のみに基づいて成立し,夫婦が同等の権利を有することを基本として,相互の協力により,維持されなければならない。」と規定しており,親の子に対する愛情や,親が子の成長と養育に関わることで感じる幸福が両親について平等なものである以上,親の子に対する親権は,憲法24条1項においても,基本的人権として保障されていることは明白である。
すると,憲法24条2項は「離婚・・家族に関するその他の事柄に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定して,離婚や家族についての立法における平等を求めているのであるから,上の「ア(憲法13条違反について)」で述べたように,親の子に対する権利が自然権(自然的権利)であり,親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味であり,親の子に対する親権は,日本国憲法下においても,同様に自然権(自然的権利)として憲法13条の幸福追求権及び人格権として保障されていること,また親の子に対する親権が憲法24条1項により保障されていることからすると,そのような性質を有する基本的人権である親権が,両親に平等に保障されなければならない性質のものであることは明白である。
また,仮にそれが基本的人権でないとされたとしても,親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味において,憲法上尊重されるべき人格的利益であることは明白である。
そして,憲法24条2項が国会(国会議員)に対して「法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」と命じているのであるから,離婚後の親権についての法律も同条項によって,「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して制定されなければならない」ことは明白である。
そして,民法819条2項(本件規定)は,離婚後,親の一方からは一律かつ全面的に親権を剥奪し,親の一方だけが子に対する親権を有し,子についての決定を行える地位を与えている。それは「特権」であり,「個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚した法律の制定」を国会(国会議員)に命じた憲法24条2項に違反していることは明白である。
2 3項(1)オ及びカについて(答弁書5頁)
(1) 被告は,「民法819条2項は,「裁判上の離婚の場合には,裁判所は,父母の一方を親権者と定める。」と規定しており,裁判所が親権者を定めるにつき,父親と母親との間において,取扱いに差を設けていない。」と主張する。
しかしながら,①上で引用した,ドイツ憲法,イタリア共和国憲法,ポルトガル憲法,ロシア連邦憲法の諸外国の憲法及びアメリカ憲法判例が,親の子に対する権利を自然権(自然的権利)としてとらえていること,それが自然権(自然的権利)とされている理由は,親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味であり,それは両親に平等に保障されるべき性質のものである。②また,離婚とは夫婦関係の解消のためにある制度であり,親子関係の解消のためにある制度ではないのであるから,民法819条2項(本件規定)が離婚に際して一方親の子に対する親権を一律かつ全面的に失わせていることには,目的と手段との関係で論理的な関係が認められない。③さらに,仮に離婚に際して親の一方の親権を失わせることが必要な場合があっても,民法は既に親権喪失制度(民法834条),親権停止制度(民法834条の2),管理権喪失制度(民法835条)の3種類の段階を分けた制度を設けているのであるから,あえて離婚に際して親権を一律かつ全面的に失わせることに理由がなく,その意味で民法819条2項(本件規定)は目的と手段との関係で実質的関連性を有していない。
それらの点からすると,民法819条2項(本件規定)は,その両親について平等であるべき親権について,離婚に伴い一方の親のみが親権者となり,もう一方の親の親権は一律かつ全面的に剥奪されるのであるから,それが合理的な理由のない区別であり,憲法14条1項に違反していることは明白である。
(2) また被告は,「また,同項が「裁判離婚において親の一方のみを親権者として定め,もう一方の親の未成年者子に対する親権を全て失わせる」と原告が主張する趣旨は明らかではないが,裁判上の離婚において親権者と定められなかった親であっても,親権者変更の申し立て(民法819条6項)をすることによって,親権を再度取得する可能性は有している。」と主張する。
しかしながら,民法819条2項(本件規定)により親権を失った親は,その後あえて民法819条6項による親権者の変更を申立て,かつそれが認められなければ親権を失ったままなのであるから,民法819条6項の制度の存在が,民法819条2項(本件規定)の合憲性の根拠とはならないことは明白である。
さらに,民法819条6項による親権者の変更の申立が認められることは極めて困難なことである。その意味においても,民法819条6項の制度の存在が,民法819条2項(本件規定)の合憲性の根拠とはならないことは明白である(被告は,民法819条6項による親権者の変更が容易にできることの根拠となる証拠を提出していない。)。
また,仮に民法819条6項により親権者の変更が認められたとしても,それによりそれまで親権者であった親は親権を失うのである。親が子の成長と養育に関わることが,それを希望する者にとって幸福の源泉になるという意味であり,それは両親に平等に保障されるべき性質のものであることからすると,そのような結果を生む民法819条2項(本件規定)が,子の両親について平等性を欠いた立法であることは明白である。民法819条2項(本件規定)は,そのような観点からも,憲法14条1項に反すると同時に,憲法24条2項が「離婚・・及び家族に関するその他の事項に関しては,法律は,個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して,制定されなければならない。」と規定した趣旨に反していることは明白である。
ちなみに,被告の主張の論理で言うと,仮に民法819条6項による親権者の変更の申立が認められたとしても,それで親権を失った親が再度民法819条6項により親権者の変更を申し立てて,それが認められれば,やはり一度親権を獲得した親は再び親権を失うのである。よって,被告の主張の論理でいえば,民法819条6項による親権の獲得は,決して「終局的・不可逆的なものではない」ことではなく,あくまでも不安定かつ未確定なものにすぎないことになる。それは親権が基本的人権であること(基本的人権は,人が人として生まれたことで保障されるものであり,国家や憲法により初めて保障されるものではないこと)と相容れない状態である。
3 3項(5)について(答弁書6頁)
(1) 被告の主張は争う。
(2) まきみさき巻美矢紀「憲法と家族―家族法に関する二つの最高裁大法廷判決を通じて」長谷部恭男編『論究憲法』(有斐閣,2017年)335頁の4項(甲24)において,最高裁判所大法廷平成27年(2015年)12月16日判決(女性の再婚禁止期間違憲訴訟)について,以下のような解説がされている。
「4 立法目的の検討
(1) 立法目的の比重の変化
本判決は再婚禁止期間のうち100日超過部分につき,立法事実の変化により,立法目的との関係で合理性が失われたとするもので,いわゆる手段違憲であるが,違憲判断の大きな要因は,立法事実の変化による立法目的の比重の変化にある。
本判決は,憲法24条2項を受けた民法大改正後にも引き継がれた本件規定の立法の経緯,および法律上の父子関係を早期に定める父性推定の仕組みにおける本件規定の位置づけから,立法目的につき,「父性の推定の重複を回避し,もって父子関係をめぐる紛争の発生を未然に防ぐこと」と解し,父子関係の早期明確化の重要性から,合理性を肯定する。
上記立法目的は,平成7年判決の判示と一見同じように見えるが,父性推定の重複回避と,紛争発生の未然防止とを,「もって」という文言により媒介し,千葉補足意見が指摘するように,前者が直接の立法目的であることを強調するとともに,父性推定の重複回避のために必要な手段は,民法772条2項を前提に100日で足りることを示唆するものと考えられる。
立法目的の巧妙な比重の変化は,立法事実の変化に対応するもので,このことは,手段との合理的関連性の検討において示される。それによれば,旧民法起草時に厳密に100日に限定せず一定の期間の幅を設けた趣旨は,当時の医療や科学技術の水準からすると,(a)前婚後に前夫の子が生まれる可能性を減少させることによる家庭不和の回避,(b)父性の判定を誤り血統に混乱が生じることの防止という「観点」から,すなわち父子関係をめぐる紛争の未然防止という目的のためであり,現行民法に引き継がれた後も,それは国会の合理的な裁量の範囲内とされた。しかし,その後の医療や科学技術の発達により,上記「観点」からの正当化は困難になったとされる。こうして紛争の未然防止はあくまで父性推定の重複回避との関係で意味をもつにすぎなくなり,独自の意義を失い,またそれにより,立法の第一次的な受益者も子どもに限定されることになったのである。
上記立法目的のほか,平成期以降の再婚に対する制約の減少要請の高まり,それを示す事情の一つである諸外国での再婚禁止期間の廃止,さらに婚姻の自由の憲法上十分な尊重,そして妻が婚姻前懐胎子を産むことは再婚の場合に限られないことを総合して,本判決は100日超過部分につき,遅くとも上告人の前婚解消から100日後までに,手段としての合理的関連性が失われたと解し,憲法14条1項および24条2項違反と判断したのである。」
この解説において「こうして紛争の未然防止はあくまで父性推定の重複回避との関係で意味をもつにすぎなくなり,独自の意義を失い,またそれにより,立法の第一次的な受益者も子どもに限定されることになったのである。」と明記されていることからしても,原告の主張が正当であり,被告の主張が認められないことは明白である。
(2) 被告が引用する最高裁判所判例解説民事篇平成27年度1473頁の記載も,まきみさき巻美矢紀「憲法と家族―家族法に関する二つの最高裁大法廷判決を通じて」長谷部恭男編『論究憲法』(有斐閣,2017年)335頁4項(甲24)と同趣旨を記載したものと考えるべきである。
4 3頁(10)について(答弁書9頁)
(1) 被告は,「仮に離婚後の共同親権制度を導入しても,子の監護者を父母のいずれにするかは引き続き争われ得るのであり,離婚裁判の長期化を防ぐことができるか否かは明らかでない。」と主張する。
(2) ア しかしながら,民法819条2項(本件規定)の憲法適合性の問題は,あくまでも「親権」の領域において憲法的評価が行われるべき問題である。被告が主張しているのは「監護者」の問題であり,「親権」の問題で離婚が長期化することがなくなることは明白である。
また,「子の監護者」の争いが仮に存在していたとしても,それは離婚後共同親権制度を前提とした「子の監護者」の領域において問題は解決するのである。その場合,現行の離婚後単独親権制度における親権争いに比べて,共同親権・共同養育の理念の下で,争いが緩和されるはずである。さらに,多くの諸外国において行われている交代監護を実現することもできる。それらは,離婚後共同親権制度に適合することである。その意味においても,あえて離婚後に親の一方の親権を一律かつ全面的に奪う必要性などないのである。
さらに,被告の反論自体が「引き続き争われ得る」という表現を用いており,明確な根拠がないことを示している。
イ 原告が訴状8頁(3)で述べたように,離婚後共同親権制度にした上で,子の監護者を定めれば子の監護は実現でき,子の福祉の保護は図られるのであるから,必要な限度を超えて,あえて離婚に際して一方親の親権を,一律かつ全面的に奪う必要性などないのである。それは,民法819条2項(本件規定)が,必要以上の制約を,一方親に与えていることを意味している。
民法819条2項(本件規定)が離婚後の子の親権を親の一方にだけ与えていることが,いわゆる「親権争い」を生んでいることは明白である。離婚後共同親権制度になれば,離婚後も子に対する親権を両親が平等に持つことを前提として子の監護の話し合いが行われることになるのであるから(言い換えれば,親の一方だけが離婚後子に対する親権を有し,子についての決定を行える「特権」を有することになる現在の不公平さが消えるわけであるから),「親権争い」は終結もしくは(仮に被告が主張するような監護者の争いがあったとしても)緩和されることは明白である(離婚後共同親権制度となった場合は,監護についても一方親だけでは決めることができなくなり,監護の争いも両親が平等の観点から決められることになるからである。)。さらに,多くの諸外国において行われている交代監護を実現することもできる。
それらのことは,まさに,憲法13条,憲法14条1項及び憲法24条2項が求める姿である。
5 3項(13)について(答弁書9頁)
(1) 被告の主張は争う。
(2) 令和元年9月27日に,法務省は,離婚後も父母の両方が親権を持つ「共同親権」の導入の是非などを検討する研究会を年内に設置すると発表した。数年かけて議論する見通しである。結論を受けて導入が必要と判断すれば,法相が民法改正を法制審議会(法相の諮問機関)に諮問することになる予定である(甲25)。
(3) よって,法務省において,共同親権を含めた離婚後の親権のあり方について具体的な検討が始まる予定であることは明白である。
6 3項(16)について(答弁書10頁)
(1) 被告の主張は争う。
(2) 原告の主張は,訴状28頁(16)で述べたとおりである。
(3) 被告は,「最高裁判所昭和37年11月28日大法廷判決(昭和30年(あ)第995号,刑集16巻11号1577ページ)は本件と明らかに事案が異なるものであり,原告の主張を裏付けるものではない。」と主張するが,その具体的な根拠を何も述べていない。
(4) 民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度は,親権を失う親の人権を侵害する法規定であると同時に,未成年者子の基本的人権(憲法13条の幸福追求権及び人格権,憲法14条1項,憲法24条2項)をも侵害し,それらの憲法規定に違反することは明白である。
民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度は,両親の離婚という,未成年者子の意思には何も関わらない事情によって,自らの養育(子育て)に責任をもつ親権者を,強制的に一人失わせる制度である。それは,未成年者子にとって,自ら選び,正せない事柄を理由に,不利益が及ぼされる制度である。
単純に考えても,未成年者子からすれば,親権者として未成年者子の養育について義務を負う者が多ければ多いほど,未成年者子の利益となり,未成年者子の福祉の保護はより実現できるのであるから,民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度が,未成年者子にとって,自ら選び,正せない事柄を理由に,不利益が及ぼされる制度であることは明白である。
また,民法766条も,離婚後の子の監護に関する事項の定めについて「子の利益を最も優先して考慮しなければならない。」と規定している。その規定も,両親の離婚に際して,未成年者子が,自ら選び,正せない事柄を理由に,不利益が及ぼされることは許されないことを示していることは明白である。
それらの意味において,民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度は,未成年者子についても,憲法13条,憲法14条1項及び憲法24条2項に違反することは明白である。
(5) さらに,民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度は,未成年者子の権利の観点からすると,未成年者子の「両親の共同親権の下で養育される権利」や「成人するまで,両親のいずれとも同様に触れあいながら,成長する権利」を奪うものである。
訴状28頁第2の3項(16)でも引用したように,日本は児童の権利条約を批准している。そして,日本が締約国となっている条約の内容や,その条約機関から日本に対して出された法改正を求める勧告は,日本国憲法の解釈に影響を与える立法事実として存在している(甲4号証32頁,甲5号証6頁)。
そして,児童の権利条約は2条1項で,「締約国は,その管轄の下にある児童に対し,児童又はその父母若しくは法定保護者の人種,皮膚の色,性,言語,宗教,政治的意見その他の意見,国民的,種族的若しくは社会的出身,財産,心身障害,出生又は他の地位にかかわらず,いかなる差別もなしにこの条約に定める権利を尊重し,及び確保する。」と規定し,「子の権利を全ての基本とする」理念を明白にしている。
その上で,児童の権利条約は前文で「児童が,その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため,家庭環境の下で幸福,愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきであることを認め」と規定した上で,以下の諸規定を設けている。
①児童の権利に関する条約9条1項「締約国は,児童がその父母の意思に反してその父母から分離されないことを確保する。」
②児童の権利に関する条約9条3項「締約国は,児童の最善の利益に反する場合を除くほか,父母の一方又は双方から分離されている児童が定期的に父母のいずれとも人的な関係及び直接の接触を維持する権利を尊重する。」
③児童の権利に関する条約18条1項「締約国は,児童の養育及び発達について父母が共同の責任を有するという原則についての認識を確保するために最善の努力を払う。父母又は場合により法定保護者は,児童の養育及び発達についての第一義的な責任を有する。児童の最善の利益は,これらの者の基本的な関心事項となるものとする。」
その児童の権利条約の前文並びに諸規定からすると,児童の権利条約は,「児童が,その人格の完全なかつ調和のとれた発達のため,家庭環境の下で幸福,愛情及び理解のある雰囲気の中で成長すべきである」(児童の権利条約前文)との理念を実現するために,未成年者子に対して,「両親の共同親権の下で養育される権利」(児童の権利条約18条1項)や「成人するまで,両親のいずれとも同様に触れあいながら,成長する権利」(児童の権利条約9条1項及び児童の権利条約9条3項)を保障したことを意味している。
そして,児童の権利条約が未成年者子に保障したそれらの権利は,日本国憲法においても,憲法13条が保障する幸福追求権及び人格権の一内容として保障されていることは明白である(上でも述べたように,日本が締約国となっている児童の権利条約の内容は,日本国憲法の解釈に影響を与える立法事実として存在しているからである(甲4号証32頁,甲5号証6頁)。)。
すると,民法819条2項(本件規定)が規定する離婚後単独親権制度は,未成年者子の「両親の共同親権の下で養育される権利」や「成人するまで,両親のいずれとも同様に触れあいながら,成長する権利」を奪うものであり,憲法が未成年者子に保障した幸福追求権及び人格権を侵害するものとして,憲法13条に違反することは明白である。
(6) ちなみに,日本と同じく児童の権利条約の批准国であるフランスでは,1987年法により離婚後に共同親権が選択できるようになり,アンケート調査によりそれが大成功であることが判明し(甲26号証33頁),それを受けた1993年法では,離婚後は共同親権が原則とされ,例外的に単独親権が子の利益から必要な場合に選択できることになった。この法改正も大成功であった,と評価されている(甲26号証34頁)。その後2002年法では,フランスの1990年の児童の権利条約批准を受けて,子を全ての基本とし,尺度とする児童の権利条約の趣旨を実現するために,真に子の権利を向上させるために,子の利益を目的とした親権の強化が行われた(甲26号証34-35頁)。例えば,子の成長に応じた子の権利を認め,両親の離別後の子の居所に関して,「交代居所」の制度が導入されている(甲26号証35頁,38-39頁)。
「交代居所」は,子の居所を両親のそれぞれの住所に一定期間ずつ交互に定めることができる制度である。両親は,2002年法の改正以降,離別後の子の居所を交代居所にするか,一方のもとに定めるかを,選択できるようになった(甲26号証38頁)。
そのフランスの歴史は,日本が批准している児童の権利条約の「子の権利を全ての基本とする」理念(上でも引用した児童の権利条約2条1項)と,離婚後共同親権制度の理念とが一致していることを意味している。
(7) 被告は,答弁書11頁エにおいて,「さらに,父母の離婚により,その一方が子の親権者に指定されても,他の親が子と面会交流をすることは何ら妨げられないのであるから,離婚後単独親権制度は,子の「親と触れあいながら成長する機会を否定」しているものでもない。」と主張する。
しかしながら,子の成長のためには,両親と同じ程度の時間で触れあいながら成長することが望ましいにも拘わらず,現在の面会交流制度では,離婚後親権を失った親は,離婚後親権者となった親が特別な同意をしない限り,原則として月に1回,数時間程度の面会を行うことが認められるにすぎないのが,現在の家裁の実務の立場である。それはまさに現在の民法819条2項(本件規定)の離婚後単独親権制度が生んでいる立場であり,それによって「子が両親と同じ程度の時間で触れあいながら成長する機会」を否定されていることは明白である。
(8) また被告は,答弁書11頁エにおいて,「平成25年非嫡出子相続分違憲判決の判示部分は,「父母が婚姻関係になかったこと」が「子にとっては自ら選択ないし修正する余地のない事柄」であるという説明をしているにすぎない」と主張する。
しかしながら,平成25年非嫡出子相続分違憲決定はそのような狭い立場ではなく,子について「自ら選び,正せない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されない,との考えが確立されてきていること。」を前提として,広く子にとって「自ら選び,正せない事柄を理由に不利益を及ぼすことは許されない」との立場から違憲決定を出したことは明白である。
そしてその違憲決定の立場は,未成年者子にとって,自らは何も関係がない両親の離婚を理由として,未成年者子の意思とは無関係に,自らの養育(子育て)に責任を持つ一方親権者の親権を,一律かつ全面的に奪うことが,未成年者子にとって,「自ら選び,正せない事柄を理由に不利益を及ぼすこと」に該当し憲法上許されないことに結びつくものである。
その意味において,819条2項(本件規定)が,未成年者子の基本的人権を侵害し,憲法13条,憲法14条1項及び憲法24条2項に違反するものであることは明白である。
7 5項について(答弁書12頁)
原告が離婚によって長男及び二男の親権を失ったことにより,具体的にどのような事項の決定に関わることができず,その事項がどのような結論となり,そのことによって原告が具体的にどのような精神的苦痛を受けたのかについては,提出する原告の陳述書の内容を,主張として引用する(甲27)。
第2 第1準備書面「第2 被告の主張」について
1 1項(立法不作為における国賠法上の違法性の判断枠組みについて)について(第1準備書面2頁)
(1) 平成27年再婚禁止期間違憲判決の内容自体は争わない。
(2) ただし,同判決は当時6か月とされていた民法733条1項が規定していた女性の再婚禁止期間の内,100日を超える部分を違憲であるとした上で,国の国家賠償法上の賠償責任自体は否定したのであるから,最高裁判例の立場においても,①法律の違憲性の判断と,②法律が違憲であるとされた場合,国会(国会議員)の立法不作為について国家賠償法上の違法性が肯定されるかの判断を分けて判断していることは明白である。
2 2項(本件規定の合理性について)について(第1準備書面3頁)
(1) (1)(親権の法的性質について)について
ア 被告の主張は争う。
イ 「親権が基本的人権であること」についての原告の主張は,本書面第1の1項で述べたとおりである。
(2) (2)(親権の内容)について
民法の規定自体は争わない。
(3) (3)(本件規定の合理性)について
ア 被告の主張は争う。
イ 被告は,「この点,仮に,離婚をする場合に,父母の双方を親権者と定めるとすると,子の教育や医療など,親権者が決定すべきこととされている事項について,父母の間で適時な合意を形成することができず,子自身の利益が害されるおそれがある。離婚した夫婦間の紛争がそのまま離婚後に持ち越された場合には,このようなおそれは特に大きい。したがって,裁判離婚後共同親権制度については,かえって子の福祉に照らして望ましくない事態が生じるおそれがある。しかるに,本件規定は,裁判上の離婚をする父母について,裁判所が後見的立場から親権者としての適格性を吟味し,その一方を親権者と定めることにより,子の監護に関わる事項について,適時に適切な決定がされ,これにより,子の利益を保護することにつながるものであり,十分な合理性を有するものである。」と主張する。
ウ しかしながら,原告が既に述べたように,そもそも離婚とは,夫婦関係を解消するための制度であり,親子関係を解消するための制度ではないのであるから,離婚に伴い夫婦の一方の子に対する親権を失わせる民法819条2項(本件規定)は,法律制度の目的と手段との間に,論理的関係自体が認められない制度である。
エ 被告は,「この点,仮に,離婚をする場合に,父母の双方を親権者と定めるとすると,子の教育や医療など,親権者が決定すべきこととされている事項について,父母の間で適時な合意を形成することができず,子自身の利益が害される『おそれがある』。離婚した夫婦間の紛争がそのまま離婚後に持ち越された場合には,このような『おそれは特に大きい』。したがって,裁判離婚後共同親権制度については,かえって子の福祉に照らして望ましくない事態が生じる『おそれがある』。」(二重括弧は原告による。)と,3度繰り返し「おそれがある」と主張しているが,それは逆を言えば,そのような「おそれ」がない場合には離婚後単独親権とする理由そのものがないことを,被告自身が認めていることを意味している(被告の主張は,いわば「離婚した夫婦はもはや子について適時な合意を形成することができないのだ。」という,全ての離婚した夫婦に該当するとは到底いえない事実を前提とした内容である(被告の主張内容が全ての離婚した夫婦に該当することを示す証拠も提出されていない。)。その主張は,特定の偏った夫婦観に基づくものである。
付言すると,離婚していなくても不仲の夫婦は存在するのであるから,夫婦が不仲であれば共同親権制度が崩壊するのであれば,共同親権と単独親権を離婚時で区別していること自体が合理的な区別ではないことになる。被告の主張の立場を前提とすると,その区別の適切な時期は「不仲となった時」でなければならないはずである。
さらに言えば,これも原告が既に主張したところであるが,被告が主張するような「おそれがある」場合のために,民法は既に親権喪失制度(民法834条),親権停止制度(民法834条の2),管理権喪失制度(民法835条)の3種類の段階を分けた制度を設けているのであるから,そのような「おそれのない」場合には,あえて離婚後単独親権とする理由そのものがないのである。そのような意味で,民法819条2項(本件規定)は,立法目的と手段との間に,実質的合理性も認められないことは明白である。
オ 民法819条2項(本件規定)は,被告が主張するような「おそれがある」場合を念頭において「おそれがない」場合にまで離婚後単独親権として,一方親の親権を一律かつ全面的に奪っているのであるから,それが合理的な根拠なく必要以上の制限を人権に加えるものであり,憲法13条,憲法14条1項,憲法24条2項に違反していることは明白である。
(4) (4)(親権者の変更が可能であること)について
ア 被告の主張は争う。
イ 原告の主張は,本書面第1の2項(2)で述べたとおりである。
(5) (5)(親権の帰属と面会交流の制限とが無関係であること)について
ア 被告の主張は争う。
イ 日本の裁判所における離婚後の実務の運用では,親権者である親が子を監護しているのに対し,親権を失った親が子との面会交流を求める調停を申し立てても,通常は月に1回,数時間程度の面会が認められるにすぎない。
離婚後に親権者となった親は,親権を失った親が子との面会交流を求めた場合,その「月に1回,数時間程度の面会」だけを認めるのか,それ以上の面会を認めるのかについて,決定権を有していることを意味している。それは逆に,親権を失った親は,その決定権を有していないことを意味している。
ウ なお,被告は原告が証拠として提出した新聞記事の記載内容を批判するが,その批判の根拠となる証拠を,何も提出していない。
3 3項(親