🐶原告 陳述書

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陳 述 書


令和元年11月11日




目 次


第1 子ども達に関する決定に現在も将来も関われないこと
1 習い事の決定
2 小学校での非親権者の扱い
第2 子ども達との触れあいの時間を失ったこと
1 面会交流権の脆弱さ
2 面会交流時間の少なさ
第3 児童虐待に対し何もできなかったこと
1 元配偶者による児童虐待
2 児童虐待と親権
第4 子ども達を連れ去られたこと
1 連れ去りによる親権侵害
2 連れ去り後のワンオペ育児
第5 不毛な親権争いが生じたこと
1 離婚訴訟での親権争い
2 親権のための人質交渉
3 「囚人のジレンマ」
4 強制単独親権制度により生じる無理な運用
第6 子ども達の精神的苦痛が親にとって最も大きな苦痛であったこと
1 子ども達の希望が無視されたこと
2 養育時間分担が阻害されたこと
3 親権者がいなくなる危険性
第7 この訴訟の目的について
署名捺印
 
私は、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度(強制単独親権制度)により、長男と二男(以下では二人を「子ども達」といいます。)の親権を失い、精神的苦痛を被りました。私は、子ども達の親権を失い、子ども達に関する決定に関われなくなりました。私は、日々成長していく2人が成人になるまでの人生の判断に、親として関われなくなりました。既に、関わることができなかった事柄も出てきています。また今後も、関われないことが明白である事も多々あります。現在は予想ができませんが、将来関われなくなる事柄もあるでしょう。
さらに申し上げると、私が受けた精神的苦痛は、子ども達に関する決定に関われなくなることだけにとどまりません。また私だけでなく、子ども達や私の元配偶者も、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度により多大な苦痛を受け、それにより、私が受けた精神的苦痛は更に大きなものとなりました。以下において、私が現行の民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度によって被った精神的苦痛について、詳しく陳述します。

第1 子ども達に関する決定に現在も将来も関われないこと
1 習い事の決定
 私は、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度により、元配偶者との離婚で子ども達の親権を失ったため、子ども達が、私と元配偶者の離婚後にどこに住むか、またどこの学校に通うかに関する決定に加わることができませんでした。今後も私は、子ども達が今後どのような学校に進学し、どのような人生を送るのかについての決定全般に加わることができません。
たとえば、私は子ども達と関わりを続けるために、私が住む東京近辺に、子ども達が将来も引き続き居住することを希望しています。しかし、もし、離婚後に単独親権者となった私の元配偶者が単独親権を行使して、子ども達を連れて元配偶者の実家である福岡県に引っ越してしまえば、私が子ども達と関わりを持ち続けることは、地理的にかなり困難になります。もしそうなれば、私は子ども達に会えるとしても、夏休みなどの長い休みの時だけ、せいぜい年2回から3回程度になる可能性があります。
さらに言えば、元配偶者は今後、東京や福岡以外に居住する人と再婚するなどして、東京から遠方に住むことも考えられます。外国で生活をすることになる可能性もあるでしょう。その場合、子ども達は、離婚後単独親権者である元親権者による判断だけに従って住む場所が決められることになります。私と子ども達の親子としての関係性に深く関わることであるのに、私は子ども達の住む場所を決める判断に加わることができないのです。
また、私は子ども達の習い事に関する決定にも加わることができなくなりました。私は元配偶者との別居後、面会交流の時に、毎週のように子ども達と野球をして遊び、教えてきました。私にとって、野球を通じた子ども達とのひとときは、かけがえのない貴重な時間でした。その際に、地元の少年野球チームから加入しないかとの勧誘も何度か受けました。その後、元配偶者は子ども達を少年野球チームに参加させました。私は子ども達が少年野球チームに参加するかどうか、さらにどのチームに参加するかという決定には加わることができませんでした。たとえば今後、子ども達にとって良いと思われる指導者を私が知っても、子ども達にその指導者の指導を受けさせることはできません。私は、これからの子ども達と野球との関わりに、親として加わることができないのです。
さらに、長男は科学教室に通い、二男は将棋を習っていました。これらの習い事についても、今後続けるかどうかなど、その具体的な進め方の決定に、私は加われないことになります。また、教育の国際化が進む現在では、若い世代が外国に留学をすることもあると思います。子ども達が留学し、外国で生活をするかどうか、どの国でどのようなことを学ぶかなどの決定についても、私は関わることができません。
本来、父母の離婚後に子ども達がどこに住むか、あるいはどのような教育を受けるかといったことは、子ども達にとって何が最適かという観点から、父母が話し合って決めることが、子ども達の福祉に最も資することだと思います。私と元配偶者も、事前に合意形成のルールについて何らかの取り決めをしたり、あるいは第三者等の助言を得ることにより、子ども達の教育について冷静に話し合い、合意に達することは可能であると思いますし、またそうすることが必要であると思います。
「離婚したのだから、話し合いをすることはできない」もしくは「話し合いは困難である」との考えは不当であると思います。なぜならば、話し合いを実現する手段はいくつも存在するからです。海外では、離婚後に話し合いをする親の心得について、教育するプログラムがあると聞いています。そのようなプログラムがあるのなら、それを受けたいと思います。もし合理的な理由もなく、「離婚後は子どもの育て方について元妻や元夫と話し合いは一切しない。そのための努力もしない」という親がいるとすれば、その人は親権者としては適格性を欠くということになるでしょう。強制単独親権制度では、離婚後の父母は、子どものための話し合いをする努力をする機会すら与えられません。「離婚をしたのだから、話し合いをすることはできないだろう」もしくは「話し合いは困難であろう」との偏見に基づいて、離婚後、一方の親の親権が一律かつ全面的に奪われてしまうのです。これが子どもの福祉の観点から不合理であることは明白だと思います。
前述の通り、元配偶者は私との離婚後に長男と二男を少年野球チームに加入させましたが、一般的に、子どもを少年野球に通わせる場合には、保護者の練習への長時間付き添いや練習のサポート等の負担が大きく、元配偶者が今後、その負担に一人で耐えられるかについては懸念しています。もし私が離婚後も共同親権を有し、少年野球への加入に関する決定に直接加わっていたなら、私がその負担を分担することもできたでしょう。しかし、私は子ども達が加入している野球チームと一切関わることができておらず、また面会交流時間が限られていることから、子ども達が野球教室へ通うことに伴う元配偶者の時間的負担を私が分担することはできません。子ども達の養育の負担を分担し、元配偶者の負担を軽減するうえでも、私が習い事等に関する決定に加わることは必要であると思います。
2 小学校での非親権者の扱い
私は、子ども達が通う小学校に対して、学校行事等に関する連絡をしてほしい旨を要望しましたが、小学校は、私が離婚成立前の共同親権者であった時点から、私を親権者としては扱わず、学校行事に関する連絡は元配偶者を通じて受け取るように私に求めました。離婚が成立し、私が親権を失った現在では、小学校から学校行事に関する連絡を受けることは不可能であり、実際に学校からの連絡はありません。小学校側は、私は「親権者ではないので連絡する必要がない」という考えなのです。
私と元配偶者との間で行われた面会交流審判において、元配偶者は、私が子ども達の学校行事に参加することを認めるように義務付けられました。しかし元配偶者はその後も審判に反し、授業参観など学校行事の日時や場所に関する通知を十分に知らせなかったため、私は授業参観等の子ども達の学校行事の一部について、参加することができていません。
本来、子ども達の成長を学校で直接見て確認すること、そして、それによって親として喜びを感じることは、親として当然に享受できるべきことではないかと思います。しかし今の法律によれば、離婚後に親権者としての立場を手に入れられるかどうかで、親としての喜びを享受できるかどうかが決まってしまうのです。子ども達の親権を失った私は、親としての喜びを感じることすら、諦めるしかないのです。
第2 子ども達との触れあいの時間を失ったこと
1 面会交流権の脆弱さ
 元配偶者が子ども達を連れ去った後から、私は子ども達と毎日会うことができなくなり、監護養育を通じて子どもたちと関わることができなくなりました。子ども達との面会交流は、平成27年2月の別居直後より、元配偶者側からの求めに私が応じる形で始まり、当初は毎週行われていました。しかし離婚協議や調停が進み、親権等に関する争いが増えるにつれて、それが月2回に減ったり、また後の「第5の2項」で述べる通り、元配偶者の代理人弁護士が、私に対し、面会交流の実施と引き換えに、財産分与等の離婚条件を呑むよう迫った際には、数か月間、全く面会交流ができない期間もありました。別居直後は元配偶者の側から面会交流の実施を求めてきたにもかかわらず、離婚訴訟が進むにつれて面会交流が困難になることには、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度が深く関係しています。この点については、後の「第5の3項」と「第6の2項」においても詳しく述べたいと思います。
その後の面会交流審判により、月に2回の日帰り(7時間)の面会交流と、年に3回の宿泊(2泊3日)面会交流が定められました。しかし元配偶者は、審判によって定められた面会交流ですら、完全には履行していません。元配偶者は一昨年の学校冬期休暇期間に、審判で定められた宿泊面会交流を、子ども達を連れて実家へ帰省するとの理由で実施しませんでした。
裁判所が面会交流の時間を定めても、その決定が尊重され、約束通りに履行されるかどうかは、親権者である元配偶者の一存により決められるのが実情です。もし、元配偶者が何か理由をつけて面会交流ができないと主張すれば、私は子ども達と会うことができません。また、その理由が子どもの体調や習い事等の都合に関わるものであれば、当然にその事情を尊重したいと思いますが、元配偶者は、面会交流を実施しない理由を示さないことが多く、私にはなぜ面会交流が行われないのかを確かめる手段がありません。また、実施されなかった面会交流が代替日程において実施される保証もありません。
私は定められた養育費を毎月支払っており、それが万一滞れば法的に財産の差し押さえを受けるでしょう。しかし、元配偶者が面会交流を定められた通りに実施しなくても、その実施を法的に担保する仕組みはありません。つまり、離婚後の単独親権者となった親は、面会交流が定められた場合でも、それを事実上、拒否する権利を持つのです。そのため、親権者でない親が子どもと面会交流をする権利や、子どもが親権者でない親と面会交流をする権利は、極めて不安定で脆弱なものとなっていると感じます。そのために、私の元配偶者は審判で定められた面会交流を実施せず、私と子ども達はそれによって精神的苦痛を受けました。
2 面会交流時間の少なさ
 また、裁判所が定めた面会交流時間は、あまりにも少ないと感じます。本来ならば、「子どもが両方の親と同じくらいの時間を共有し、同じように思い出を作りながら成長することが、子どもにとって最も幸せである」ことが面会交流の目的なのではないかと思います。父母が婚姻中は、そのような環境を子どもは享受できていたからです。そして私が別居後に親権者として扱われていれば、当然に元配偶者と同程度の時間、子ども達の監護養育をする権利及び義務を有していたはずです。しかし別居後は、裁判所において私と子ども達の関係が良好であると認められたにもかかわらず、子ども達と私は、上記のようなごくわずかな時間しか共有することができませんでした。後の「第6の1項」において述べる通り、子ども達は少なくとも毎週の面会交流を望んでいましたが、それすら実現しなかったのです。
現在、多くの外国では、離婚後に共同親権制度が採用されていると聞いています。離婚後共同親権制度を採用している国では、離婚後も両方の親が子どもとできる限り同じ時間を共にできるような配慮がされているようです。例えばフランスでは、2002年に改正された法律で、離婚後の共同親権制度が採用された上で、両親の離別後の子の居所に関して、「交代居所」の制度が導入されているそうです。
それに対して、日本国内において親権を失った親と子の関係性への配慮の乏しさは、「面会交流」という用語に象徴されていると思います。「面会」は、病院や刑務所など、入院や入所などで世の中から隔絶された人と会うときによく使われる言葉です。この言葉が親子間について使われるのは、離婚後は親権を失った親と子の日常生活を隔絶させることを前提としているからです。つまり面会という言葉は、親子を隔絶させたうえで、短時間に限って例外的に会うことを許可するという意味なのです。そして「交流」は、国、文化が異なる人、あるいは属する組織が異なる人が交わるときに使われる言葉です。ですから、親権を失った親と子はもはや親子ではないということです。交流とは、離婚後はもはや親子ではなくなった元親子が、別の組織に属する他人同士として会うということを意味しています。
「面会」も「交流」も、常識的には親子の関係に対して使わない言葉であり、用語として不適切であると思います。このような用語が当然のように使用され、実際に「面会交流」と称するごくわずかな時間しか、親子が会うことが認められないのは、「面会交流」においては親子関係が尊重されていないからです。「面会交流」という言葉の根底にあるのは、「親権を失った親はもはや他人であり、本来は子どもと縁を切るのが前提であるが、限られた時間ならば例外として会うことを認めてもよい」という、極めて非人間的な考え方であると思います。
実際に月にわずか2回の“面会交流”しか行われない状態が5年間も続くと、子ども達が今、何に関心を持ち、どんな課題を抱えているのかといったこと、あるいはどんなスポーツや本、テレビ、食べ物が好きで、何が嫌いなのかといった、子ども達と暮らしているときに把握できていたことが、少しずつ分からなくなってきます。今後も私が“面会交流”によって子ども達と“交流”を続け、単に楽しい時間を過ごし、私が子ども達に忘れられない程度の関係を保つことは可能なのかもしれません。しかし、親として、必要に応じて子ども達の相談相手となったり、適切な助言を与えてあげたりするといったことは、もはや難しくなってきたという実感があります。
もしかすると、非親権者と子どもが共有できる時間を減らし、非親権者と子どもの互いの関心を少しずつ失わせ、最終的に被親権者と子の関係も終わらせ、それによって父母の紛争が起きる可能性をなくすことこそ、強制単独親権制度と、強制単独親権制度によって制約を受けている面会交流制度が意図することなのではないか、とすら思います。現実に子ども達とわずかな面会交流時間しか共有できない立場になると、そのような法運用の意図を実感として感じる時があるのです。
離婚後に親子が関わる時間を、“面会交流”と称される例外的な時間としてではなく、子どもが、両親と同じように触れあいながら成長するという日常的時間として、実現させることが可能なはずです。その第一歩は、離婚後共同親権を原則とする法制度を導入することから始まる、と思います。
以上の通り私は、元配偶者との離婚により、民法819条2項に基づいて、子ども達の親権を失ったことで、子ども達と一緒に過ごす時間が大きく制限され、“面会交流”と称されるわずかな時間しか与えられなくなりました。そのわずかな時間が確保される保証もありません。私は定められた養育費を払い、親としての責任を果たしているにもかかわらず、面会交流が定められた通りに実施されるかどうかは元配偶者の一存によって決まり、実際に元配偶者は定められた面会交流を完全に履行していません。現在の強制単独親権制度において、親権を失う親は差別的に取り扱われ、不当な苦痛を受けていると思います。これは、離婚後共同親権制度の下では決して起きない事態であろうと思います。
第3 児童虐待に対し何もできなかったこと
1 元配偶者による児童虐待
 元配偶者は、子ども達への虐待行為を、長期間にわたって繰り返し行っています。それは、今後も繰り返される可能性が極めて高いものです。申し上げるまでもなく、子ども達が児童虐待を受けることは、私にとって大きな精神的苦痛です。
なお、元配偶者による児童虐待は、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度により、親権を得るために必要となる子供の連れ去り、親権争いや、それらに伴う育児負担増加と精神的ストレスによって、悪化したものとも思われます。この点については後の「第6の2項」において述べたいと思います。
  長男は、乳児期に元配偶者による不自然な寝かしつけを強制されて、斜頭症となりました。また二男は、元配偶者に連れ去られる前に、元配偶者から、元配偶者が「股割り」と呼んでいた、股を開いて折り曲げる不可解な虐待行為を繰り返し受け、泣かされていました。言葉を発し始めたばかりの二男が、泣きながら私に助けを求めてきたこともありました。元配偶者は「股割り」について「体操だった」と主張しましたが、裁判では不適切な行為であると判断されました。平成26年10月30日に元配偶者は、電子メールで私に「子どもの前でけんかしてほしくないなら、今日か明日のうちに荷物まとめて出て行ってくださいね。これから養育費慰謝料など月20万円出してね。」と伝えてきました。この内容は、元配偶者が子ども達の前で「面前DV」を行った事実と、更にはそれによって私を威迫したことを意味しています。
元配偶者が子ども達を連れ去って別居した後、長男は元配偶者に頭を拳で毎日殴られ、また罰として風呂に入れてもらえませんでした。長男が東京都児童相談センター職員に対して「頭を拳骨で叩かれる」と訴えたことから、元配偶者は子ども達に対する虐待の事実を認め、同センターから注意喚起の指導を受けました。これらは私と元配偶者との離婚訴訟の東京高裁判決(甲2)においても、子ども達の訴えが事実認定されています。子ども達は、裁判所調査官の調査に対しても、「(私の元配偶者からは)叩かれる。(私から)叩かれたことはない」と話し、それは調査官調査報告書に記載されています。
  これらの事実が離婚訴訟で明らかとなったにもかかわらず、元配偶者は訴訟で「子ども達の性格の方に問題がある」と主張し、元配偶者による虐待行為はなくなりませんでした。二男は、その後も元配偶者に本などの物を投げつけられて痣ができ、また元配偶者からネグレクト行為を受けて、消灯した部屋やトイレに閉じ込められました。長男は、離婚訴訟の家裁審理終結後に、元配偶者に自宅ベランダに引きずり出されて、脚に痣ができるなどしました。さらに元配偶者が帰省時に、二男は元配偶者の父に叩かれるなど暴行を受けましたが、元配偶者はこれを止めなかったことがありました。そして元配偶者は、平成29年8月9日に東京児童相談センターから2度目の自宅訪問調査を受けたことが、元配偶者の代理人からの情報により明らかとなっています。
 私は当時、子ども達を守るために、自分が子ども達を保護し養育することが必要であると考えました。しかし後の「第4の1項」において述べる通り、別居時の最初の子どもの連れ去りは法的に容認されているのに、いったん連れ去られた子どもを連れ戻すことは、なぜか法律実務では「誘拐である」とされ禁じられているようなのです。そのため、私は子ども達からの訴えに対して何もすることができず、それによって精神的苦痛を受けました。
2 児童虐待と親権
  以上のような事実があっても、離婚訴訟では、民法819条2項の強制単独親権制度により、親の一方を親権者と定め、もう一方の親の親権を全て剥奪することにしています。そして現に離婚訴訟においては、継続性の原則を理由に、元配偶者に親権を与えるとの決定がなされ、私は子ども達の親権を失いました。
離婚後も両親が共同で親権を持つ法律制度であれば、一方の親はもう片方の親の行動について、子ども達に代わって異議申立を行う立場を有し続けることができます。それは子どもにとってのセーフティーネットとも呼べるものであると思います。しかし現在の強制単独親権制度は、親の一方だけを親権者とすることで他方の親を排除し、単独親権者だけに子ども達に対する独裁的な支配権を持たせる立法になっていると思います。このように、離婚後は一人の親だけに大きな権限与える強制単独親権制度が、現在大きな社会問題となり、毎日のように報道されている児童虐待を生んでいると思います。児童虐待は、子どもと親との対等な人格を否定し、親が子を支配する感覚と環境が生み出すものだからです。
では、そのような離婚後に起きる児童虐待を、誰が防ぐことができるのかと考えますと、それは「もう一人の親」をおいて他にあるだろうかと思うのです。実の親は、子どもへの虐待を止めるために、無償で、全力を尽くすことができますし、子どもがこれまで置かれた環境や、親子の関係をよく知っていますから、子どもを救うために何をするべきかについて、最も的確な判断を下すこともできるでしょう。
そして、「もう一人の親」が子を救うために必要なのが、上で申し上げた「片方の親の行動に対する異議申立権」です。単独親権者である親も、児童相談所も、虐待を受ける子どもを救えないのだとすれば、共同親権制度を導入し、共同親権者となった「もう一人の親」が異議を申し立てて子どもを救うしか、児童虐待を減らす方法はないのではないでしょうか。
民法819条2項の強制単独親権制度は、子どもを救うことができる親がいるにもかかわらず、その親と子の関係をわざわざ断ち切ってしまう制度です。たとえるなら、いざというときのために船に備えられている救命ボートを、「船は一つで十分」と言って捨ててしまうような制度だと思います。子どもの救命ボートを捨てるような制度(強制単独親権制度)を作っておきながら、いざ船が沈んで子供が溺れたら「責任は救助船(児童相談所)の対応が遅かったことにある」というのは、子どもに対してあまりに無責任であると思います。救助船による救助も重要ではありますが、見つけられなかったり、救助が間に合わなかったりすることがどうしても出てくるでしょう。もっと大事なのは、救命ボートを捨てずに備えておくこと。離婚後も、子どもがいざというときに頼れるもう一人の親との関係を、共同親権という形で法的に担保しておくことであると思います。
 本件訴訟の証拠として提出させていただきましたが、児童虐待は、両親の離婚後、子の単独親権者となった者が再婚して、その再婚相手から子に対する虐待として発生することが多い、という統計があります(甲10)。平成30年3月、東京都目黒区で5歳の船戸結愛(ゆあ)ちゃんが死亡した事件でも、結愛ちゃんは親権を持つ実母や実母の再婚相手から虐待を受け、実母に「パパ、ママいらん」「前のパパがいい」と訴えていました(甲11)。この事件でも、実父が離婚後も結愛ちゃんの共同親権者だったなら、結愛ちゃんの命は救えたのではないか、と思わざるをえないのです。
また、令和元年9月、埼玉県さいたま市で9歳の進藤遼佑くんが継父に殺害された事件では、遼佑くんが継父に「本当の父親じゃないのに」と言ったことが、殺害される引き金になったと報道されています。この事件でも、もし離婚後も実父が母親と共に遼佑くんの共同親権者であったとすれば、母親が再婚しても遼佑くんの父は実父のままです。ですから、遼佑くんは母親の再婚相手である見知らぬ人を突然、父と呼ぶよう強いられる理不尽も受けず、さらに、そしてその人によって殺されるという理不尽も受けずに済んだのではないか、と思わざるをえないのです。「本当の父親じゃないのに」という遼佑くんの言葉には、離婚後強制単独親権制度によって、不当に親を奪われる理不尽を受けた子どもの気持ちが表れています。遼佑くんと同じような思いをしている子どもはたくさんいるはずです。私達大人はその気持ちを汲み取って、父母が離婚しても、子どもから親を奪う必要がない制度を、子どものために早急に導入する責任があると思います。
以上のように、離婚後の親権は、児童虐待の原因やその防止にも深く関りがあることであると思います。私は、元配偶者から虐待を受けているとの子ども達の訴えを何度も聞きながらも、親権者としては扱われないために、それに対して何もしてあげることができませんでした。そして、元配偶者との離婚に伴って、民法819条2項の強制単独親権制度により、子ども達への親権を全面的に失いました。その結果、子ども達を児童虐待から救うことができなくなりました。最近の児童虐待に関する報道を見る度に、子ども達のことが頭に浮かび、胸が痛みます。この悲しみと、精神的な不安・苦痛を、ご理解いただきたいと思います。
第4 子ども達を連れ去られたこと
1 連れ去りによる親権侵害
私が離婚で親権を失うことにより被った精神的苦痛は、実際に離婚成立で親権を失った時点や、その後の出来事だけにはとどまりません。特に、私が声を大きくして申し上げたいのは、現在、一方の親が離婚前に、他方の親の同意もなく、知らせることもなく、一方的に子どもを連れ去る事件が多く発生している、ということです。いわゆる「子の連れ去り」です。これも、現在の民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度から生まれている、不合理な事実であると思います。
 最近は、日本人の配偶者に子を連れ去られたことについて、外国人の方が「おかしい」と声を上げる報道を目にすることが多くなりました。その行為そのものは、まさに共同親権状態に行われた「親権侵害」そのものであるはずなのに、なぜか警察はそれを刑事事件として扱いません。また、「子を一方的に連れ去った」こと自体は、離婚訴訟において連れ去った側に不利な事情として働きません。
私も、元配偶者に子ども達を一方的に連れ去られた被害者です。私の元配偶者は、子ども達を連れ去って別居する少なくとも数か月前の時点から、弁護士の助言を受けて、離婚後に確実に子ども達の親権を獲得するために行動していました。元配偶者は平成27年2月に、私に行先を告げずに子どもたちを連れ去りました。その連れ去りは、訴訟で明らかになった通り、事前に私が所有する不動産の登記簿を取得し、預金口座を密かに調べる等の綿密な資産調査を行い、また事前に転居先の賃貸マンションを契約するなど、時間をかけて周到に準備された上で行われたものでした。自宅には、別居の前年に、「有利な離婚」をするために弁護士と打ち合わせをした手書きのメモもあり、元配偶者はそれらを書いたのが自分であることを裁判で認めました。
しかし、裁判所は離婚訴訟において、元配偶者による子どもの連れ去りという「共同親権侵害行為」を、何ら考慮してくださらなかったのです。このような親権の軽視は、現在の強制単独親権制度である民法819条2項の存在によって「近い将来に離婚が成立して、親権者が一人になる」という「見込み」が生じることが引き起こしている不幸な事態のように思えてなりません。
 私が経験した限りにおいて、家庭裁判所や関連機関の実務では、子どもを連れ去った親は、当然のように事実上の監護者、かつ離婚後の親権者予定者として扱われます。一方で、子どもを連れ去られた側の親は、少なくとも離婚が成立するまでは共同親権者であるにもかかわらず、事実上の非監護者であり、離婚後の非親権者予定者として、まるで既に親権を失った者であるかのように扱われます。
そのため、子どもを連れ去った側の親は、連れ去り後、離婚訴訟の判決が出るまでの1~2年の間、子どもの単独監護状態を維持することが可能です。そして私が知る限り、離婚訴訟判決においては「継続性の原則」の名のもとに、連れ去りによって形成、維持された監護状態を追認する判決が出されるのです。つまり離婚後の単独親権は、離婚成立前に子どもを連れ去るという「自力救済」により、獲得することが可能であり、連れ去られた親は、高い確率で親権を失うのです。
ただ、元配偶者は、強制単独親権制度によって、子どもの連れ去りという不適切な行為を行わざるを得なくなった、という評価もできるのかもしれません。この制度があるために、元配偶者は「自分が連れ去らなければ、相手に連れ去られて親権を失うかもしれない」という立場に置かれたからです。離婚後共同親権制度であれば、私の元配偶者は、子どもの連れ去りをしなかったのではないかと思います。そして後の「第6の2項」で述べる通り、元配偶者は連れ去りによって、自分自身も強いストレスを受け、児童虐待に至ったと考えられますから、その点では私の元配偶者は、強制単独親権制度の犠牲者であるとも言えると思います。
2 連れ去り後のワンオペ育児
このような自力救済としての子の連れ去りは、両親が共働きであるなど、父母が育児を分担しており、離婚後にどちらの親が親権を獲得するかが客観的に明確でない家庭において、より行われやすいだろうと思います。そのような家庭では、連れ去りがないと、離婚訴訟判決でどちらに親権が与えられるか、その結果が予測しにくいからです。離婚を決意した親が、結果がわからない裁判に運命を委ねるより、連れ去りを行って実力で確実に親権を得たいと思うのは、やむを得ない面もあります。私の場合も、私が育児を分担しており、子ども達との関係も良好であったことが、元配偶者の連れ去りを促したのではないかと思います。
そして、共働きなどにより育児分担がされていた家庭では、両方の親が仕事に時間を取られるため、離婚後に共同養育を行う必要性も当然高いわけですから、連れ去り後に必要となる、いわゆる「ワンオペ育児」(一人の親が育児を負担すること)の際に、時間の不足等による育児困難が生じ、子の福祉が損なわれやすいと思います。私の元配偶者も、連れ去り後には、私の育児分担がなくなったため、一人で養育責任を背負うワンオペ育児を行うことになり、育児困難に伴う精神的ストレスを子供に向けたのだと思います。この点については、後の「第6の2項」において述べます。
また、子どもの連れ去り行為が、その後の父母関係に与える影響も破壊的です。連れ去り行為が父母の間に、愛する子どもを奪い、奪われるという強い敵対関係を必然的に作り出すからです。やりなおせる可能性がわずかでもあった夫婦があったとしても、その可能性は連れ去りによって完全に奪われるでしょう。また離婚後にワンオペ育児の負担を分担するために、共同での子どもの養育をしようとしても、連れ去りによって生じた対立が尾を引き、共同養育の支障となります。
以上のように、父母の同居中に子どもの養育が分担されていて、本来ならば父母の離婚後も共同養育が必要でありかつ適している家庭ほど、離婚後強制単独親権制度下では、連れ去りが起こりやすく、それによって子の福祉が損なわれやすく、また子どものために必要になる共同養育の基礎となるべき父母関係が破壊されやすいと言えると思います。
私は、元配偶者による子ども達の連れ去りによって、強い精神的苦痛を受けました。しかし一方で親として、元配偶者が、強制単独親権制度の存在によってそのような不適切な行為に及んでしまった気持ちも、全く分からないわけではないのです。元配偶者は、離婚後に親権を失って、現在の私のように子ども達に会える保証すらなくなることに、恐怖を感じたのだろうと想像するからです。しかし、本来はそのような親の都合によって、子どもが不利益を受けるべきでないことは、申し上げるまでもありません。離婚に際して子どもを連れ去らざるを得ない親に加え、子どもを連れ去られた親、そして何より、連れ去られた子どもが大きな苦痛を受けている現状は、強制単独親権制度が日本の社会に生み出している不幸な姿だと思います。
以上のように、自力救済としての子の連れ去りを行う強い動機を親に対して与え、それによって子どもの福祉を害するなど、離婚において混乱をもたらす民法819条2項の強制単独親権制度が、不公正な制度であることは明らかであると思います。私は、私の元配偶者が、その不公正な制度があるために取った子ども達の連れ去り行動により、苦痛を受けたのです。また私の子ども達も、連れ去り行動によって苦痛を受けました。私は苦痛を受ける子ども達を、ただ悲しい気持ちで見守るしかなかったのです。
第5 不毛な親権争いが生じたこと
1 離婚訴訟での親権争い
 私は、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度によって、元配偶者との離婚成立までの約4年間、離婚調停と離婚訴訟で子ども達の親権を争い続ければならなりませんでした。私はこのことにより、精神的苦痛を受けました。親権を争うべきでなかったという考え方もあるかもしれません。しかし、離婚後に親権を得なければ、子ども達と確実に会えるという保証すらなくなることを考えると、私は簡単に親権を諦めることはできませんでした。
離婚訴訟において、私と元配偶者の間では、離婚をすること自体には全く争いがありませんでした。また私からは、離婚調停前の離婚協議や控訴審での和解協議等において、元配偶者が子ども達の監護権を持ち、私が親権を持つという、いわゆる親権監護権分離による、共同親権に類似する形での離婚も提案していました。私は離婚後の子ども達の監護権には必ずしもこだわっていませんでしたし、私が親権を持つことによって、離婚成立後も子どもと私が確実に十分な時間を持つことができ、また監護養育においても関わることができるのであれば、親子関係への影響を最小限にできると考えていたからです。つまり、離婚訴訟の最も大きな争点は、離婚成立後に単独親権をどちらが持つかということであり、監護権や財産分与等ではなかったのです。親権争いは、申し上げるまでもなく、強制単独親権制度では避けられない争いです。
ですから逆に申せば、単独親権をめぐる争いがなければ、離婚訴訟の長期化は避けられた可能性が高いのです。私が元配偶者と親権を争ったのは、非親権者となると、子ども達の監護教育ができなくなるうえ、離婚後は運が良くても、面会交流と称する月に数回のわずかな時間しか子ども達と過ごせなくなり、またそれが守られるとの保証すらなくなるからです。もし、離婚後共同親権の制度があったとしたら、私は監護権を元配偶者へ与えることに同意し、離婚後も共同親権者として子ども達と十分な時間を過ごすことを前提として離婚に応じていたでしょうから、離婚訴訟において無用な親権争いをせずに済んだだろうと思います。
2 親権のための人質交渉
そして親権をめぐる争いは、離婚裁判の中でのものばかりではありません。
子ども達が連れ去られた後、離婚訴訟が提起される前に、元配偶者の代理人弁護士が、私に電子メールで連絡をしてきました。その弁護士は、突然子ども達を連れ去られた私に対して、「元配偶者が求める慰謝料や財産分与の条件を呑んで離婚に応じるように。離婚に応じるまでは、面会交流は実施しない」旨を私に対して電子メールで通告しました。これは事実上、子どもとの面会交流と引き換えに、財産分与等の離婚条件を呑むよう脅迫する、極めて不適切な行為だと思います。それは、本来法律が許していない「自力救済」であるだけでなく、乱暴な表現をさせていただくと、私にとってはまるで子ども達を「人質」に取られているような状態でした。
子どもを人質として離婚条件を有利にしようとする行為が、法を守るべき弁護士によって公然と行われるのは、許し難いことです。子どもを人質とされ、離婚条件を呑むよう迫られた私は、子どもの顔を見るために離婚条件を受諾するか、子どもに会うのを諦めて離婚条件の協議をするかの「二者択一」を元配偶者から迫られたのです。このような不当な行為を受けることが、私にとって大きな精神的苦痛であったことは申し上げるまでもありません。また私の子ども達も、この元配偶者の代理人弁護士の不当な要求によって、実親である私と会う権利を侵害され、実際に私とは会うことができない状態に置かれたのです。またこのような不当な行為により、その後の離婚訴訟での争いが更に長引くことになったことは、申し上げるまでもありません。
3 「囚人のジレンマ」
訴訟の主たる争点は親権でしたが、今、改めて当時を振り返ると、私と元配偶者は裁判において、互いに、自分が親権者となることを主張したという感覚がありません。私達は互いに相手が非親権者となるべきであることを主張せざるを得ず、そのことが不毛な争いを長期化させたと私は感じるのです。それは次のような理由からです。
私と元配偶者は、婚姻後に子ども達の実親として共同親権者になり、その後、親権の停止などを受けることもありませんでした。つまり婚姻中は親権者として適格とされていたのです。そして、離婚という夫婦間の出来事が起きたからといって、親子の関係に変化を生じさせるべきではなく、また親権者としての適格性に何か変化が生じるわけでもありません。ですから、私と元配偶者は共に、離婚後も子ども達の親権者となる資格を有していたことになります。
しかし、強制単独親権制度においては、親権者として適格な者が二人いる場合であっても、離婚時にはそれを強制的に一人に減らされるのです。このように、お互いが親権者として適格であるなかで、自分が親権者となるには、相手が減らされるべき親権者であることを主張する必要があるのです。そのための主張の応酬は、お互いに相手の欠点を主張し合う攻撃的な内容とならざるを得ず、子どもの連れ去りや人質交渉によって既に悪化している父母関係に更にダメージを与えます。そしてそれは感情的対立となり、別居当初は順調に行われていた面会交流にも悪影響を与えました。感情的に対立している相手に対して、望むもの(面会交流)を与えようとは通常思わないからです。しかしこれは、子の福祉のために行われるべき面会交流が、親の個人的な感情によって妨げられることを意味しています。
「いくら離婚訴訟であっても、『相手が非親権者となるべきである』というような主張をすることは不適切である」とお感じになるかもしれません。少なくとも子ども達は、父母が離婚後に向けて冷静な話し合いをすることを望むでしょう。離婚後は、婚姻中の愛情を根拠とした父母関係とは異なる関係、すなわち、約束に基づく関係を新たに作る必要があります。そのための前向きな話し合いをすることが、父母関係の安定、ひいては子どもの福祉につながるからです。
しかし現実には、民法819条2項の強制単独親権制度の下では、相手を貶める主張をしたり、子どもを連れ去ったりすることにより、自分が単独親権者となる以外には、離婚後に子どもとの関りを確実に持つ方法はないのです。相手を効果的に攻撃し、子の福祉に目を瞑って子どもを連れ去ることができた親に対してのみ、単独親権という「離婚後も確実に子どもと関わることができる権利」が与えられるからです。
冷静な話し合いが必要だとわかっていても、それが困難となるのは、強制単独親権制度が、離婚の際に、経済学でいう「囚人のジレンマ」と呼ばれる状況を作り出しているからだと思います。「囚人のジレンマ」は、お互いが相手に協力する方が良い結果が得られると分かっていても、協力しない者が利益を得る状況では、互いに協力ができなくなることを指します。そのような状況では、相手を信じるかどうかとは関係なく、相手を裏切ることが常により良い結果をもたらす行動になってしまうのです。そのため、仮にこちらが相手を信じても、相手にはこちらを信じる動機が働かず、また逆も同じとなります。
離婚に携わる司法関係者の方には、経験則などから「離婚した父母が育児のため協力するのは無理だろう」と考えている人がいらっしゃるようです。しかし、離婚時に親権を争う父母の関係が非常に悪くなるのは、父母が強制単独親権制度によって、「囚人のジレンマ」の関係になるからであるということを、是非理解していただきたいと思います。ですから、「離婚した父母の協力は無理だから、離婚後は強制的に単独親権とするべき」と考えるのではなく、「父母の間に敵対関係を作り出す強制単独親権制度を見直し、共同親権を導入して、離婚した父母が離婚後に協力しやすくしよう」と考えていただきたいのです。
さらに申し上げるなら、共同親権が導入された場合であっても、共同親権を与える際に父母双方の同意が条件とされるようですと、やはり父母は「囚人のジレンマ」の状態になり、協力は困難となります。「離婚後は自分が子どもを独占したい」と考えた場合には、相手に故意に協力をせず、単独親権を獲得するインセンティブが生じてしまうからです。そうすると、父母の協力は困難となり、子どもの福祉が害されることとなります。ですから、特に片方の親に親権を剥奪すべき理由がある場合を除き、離婚後は共同親権を原則としなければ、離婚後に父母が互いに協力するのは困難であると思います。
離婚後共同親権制度が導入されれば、親権の奪い合いがなくなり、離婚後に子どもと関われるという安心感が生まれます。そのため、連れ去り行為などで相手を裏切るより、相手に協力した方が得られるものが大きくなります。そうすれば、父母は「囚人のジレンマ」の状態から脱し、離婚後に父母間の関係を構築しやすくなります。子育てのために相手に協力し、子どもにとって良い親となるために努力できるようになるのです。現在の強制単独親権制度では、配偶者に協力せずに裏切る、「子どもにとって悪い親」にならなければ、親権を得ることができません。そして親権を得られなければ、離婚後に確実に子どもに会える保証すらないため、離婚する親は「悪い親競争」をせざるをえない立場に置かれます。この離婚時の「悪い親競争」を「良い親競争」に変えるために、離婚後の強制単独親権制度をやめて原則共同親権とし、配偶者に協力をする「子どもにとって良い親」が、子どもと関わることができるようにしなければならないと思います。
4 強制単独親権制度により生じる無理な運用
以上のように、親権を得るための争いが長期化したのは、世間の一般的な常識からは理解することが難しい、様々な「無理な運用」も原因であると思います。私が感じる「無理な運用」とは、最初の子どもの連れ去り行為を問題視しない取り扱いや、一方で連れ戻しは誘拐であるとする取り扱い、“人質交渉”が行われる現状、親権侵害、面会交流権の脆弱さや少なさ、連れ去りにも継続性の原則が適用されること、子どもの権利軽視などです。そのような運用が行われるたびに不条理な結果を受け入れるのは、精神的に苦痛なことでした。
運用はそれぞれに根拠があってなされていることなのでしょう。しかし、実際に経験した者からすると、これらの運用の根底に共通してあるのは、民法819条2項の強制単独親権制度であるように感じました。それは強制単独親権制度が、「父母の両方が親権者として適格でも、必ずどちらかから親権を奪わなければならない」という「大きな無理」を含む制度であって、そのような「大きな無理」を通すために、多くの「小さな無理」としての運用が必要とされたように見えるからです。
他の多くの争い事においては、裁判所が勝者と敗者を決めて過去を清算すれば、両者はその後関係を持つ必要もなく、争いは一件落着し、事態は収束するのでしょう。争いを過去のものにするためにも、勝敗を決めるのは必要なのだろうと思います。しかし本来、離婚に「勝者」や「敗者」はいません。離婚する夫婦は、ある意味では両者が「敗者」です。また、子どもがいる場合は、離婚成立後も、双方の親による子どもの養育や面会交流は続くわけですから、勝敗を決めることが「一件落着」につながるわけではありません。無理に勝者(離婚後の単独親権者)と敗者(離婚後の非親権者)を決める必要はないのです。しかし、強制単独親権制度が存在するために、離婚後の単独親権者を決めなければならないことが、あたかも離婚に「勝者」と、「敗者」があるかのような状況と錯覚を作り出し、争いを無用に長期化させ、離婚後の父母関係に悪影響を及ぼしていると感じます。
本来、子どもがいる夫婦の離婚の際に力を注ぐべきなのは、過去にどちらの親が悪かったかを主張し合って勝敗を決めることではなく、離婚後、両親がどのように協力して子どもを育てるかという、将来のことです。それが子どもの福祉のために最も必要です。しかし、強制単独親権制度という「大きな無理」を前提とするなら、親権者として適格である親の親権が必ず一つ奪われ、勝敗がないはずの離婚で勝ち負けが決められてしまうわけですから、父母は、子どもを連れ去って物理的に確保したり、裁判で婚姻中にどれだけ相手が悪かったかを争ったりするために、エネルギーを費やさざるを得ないのです。強制単独親権制度は、離婚する夫婦にこのような本来は必要がない争いばかりを強いて、結果的に子どもにも苦痛を与える制度であると思います。
第6 子ども達の精神的苦痛が親にとって最も大きな苦痛であったこと
1 子ども達の希望が無視されたこと
 子ども達が肉体的・精神的苦痛を受けることが、私にとっても精神的な苦痛となることは、改めて申し上げるまでもありません。私は、現在の民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度の最大の犠牲者は、子ども達ではないかと考えています。
 子ども達は、私との短い面会交流の際、別れ際に「(私の)家に帰りたい」「もっと遊びたい」と泣くことがたびたびありました。そのような訴えを聞きながらも、子どもと別れざるを得ない時の私の気持ちは、到底言葉で表現できるものではありません。また、面会交流をする際に子ども達が喜ぶ様子も、それ自体は親としては嬉しいものではありますが、普段監護教育をできないことの裏返しであることから、親としては罪悪感のある、辛いことです。それらは、私が元配偶者との離婚により、強制単独親権制度によって、子ども達の親権を全面的に失った結果なのです。
 子ども達は、裁判所調査官の調査に対しても、「(親である私に)毎週会いたい」とはっきりと希望を述べていました。しかし家庭裁判所の審判では、月にわずか2度の面会交流しか認めてはいただけませんでした。
最も弱い立場にある、罪のない幼い子ども達が、初対面の大人である調査官に対して、意を決して、「毎週会いたい」というとてもささやかで正当な願いを、精一杯訴えていたのです。裁判所がなぜ、この子ども達の声を聞き入れてくださらなかったかは、私にはその時はわかりませんでした。面会交流制度は、子どものためにある制度です。その子ども達が「毎週会いたい」と明確に述べており、別居する親もそれを希望しているのに、それを「月に2度の面会交流」とあえて制限する正当な理由が、一体どこにあるのでしょうか。私は、親に会いたいと望む子ども達を十分に親に会わせないことは、それ自体が虐待行為であると感じました。
そこでなぜ、子ども達の正当な願いを裁判所は聞き入れてくださらなかったのだろうかと考えるなら、それはやはり、強制単独親権制度という制度があるためではないかとしか考えられないのです。この制度は、離婚後に単独親権者となる親と非親権者となる親を差別的に扱い、単独親権者に対して子どもへの独占的な法的権利を与えるので、裁判所は、単独親権者予定者の意向に配慮せざるを得ません。そのため、「離婚後親権者となる親にとって面倒、迷惑となる可能性がある判断は避けよう」と、離婚後の単独親権者の都合を優先し、子ども達の意向への配慮が疎かにせざるを得なかったのではないかと思います。
加えて裁判所には、裁判に特有の「争いを一件落着させる」という考え方から、「親権者を持たない親と子は接触時間を増やしすぎず、なるべく切り離して、親権を持たない親には子の存在を忘れさせるくらいのほうが、新たな争いも起きにくくなるから、争いを収束させるためには良い」との考えがあるのではないか、とすら思うのです。しかし「一件落着」という考え方が、子どもがいる離婚には適さないと考えられることは、「第5の4項」で述べた通りです。
日本は現在、強制単独親権制度によって、親の都合ばかりを優先した結果、このような幼い子どもの、両親に会いたいというささやかな願いすら聞き入れてあげようとしない、恥ずかしい国家になっていると思います。本来子どものための制度である面会交流の実現を、強制単独親権制度である民法819条2項が阻害しているのです。強制単独親権制度を前提とする限り、子どもの願い通りに、子どもが十分な時間を親と過ごせる環境を父母の離婚後に実現してあげることは、不可能であると感じました。
 また、子ども達が受けた精神的苦痛は、子ども達が希望する通りに親と会えなくなったことだけではありません。私と元配偶者との離婚において、子ども達は、元配偶者により一方的に連れ去られ、それまで慣れ親しんだ家を離れ、一時的とはいえ、生活の基盤となる街を離れました。別居後、別居宅に戻ろうとする元配偶者に対して、子ども達が「僕のおうちはそっちじゃないよ」と路上で大声で泣き、自宅に戻りたがって元配偶者の手を引っ張っていたとの話を、私は近所にいた友人を通じて聞きました。突然、知らない場所に連れて行かれ生活することとなり、子ども達はどれだけ不安であっただろうと思います。子ども達に不安を与える連れ去り行為が、強制単独親権制度がもたらした事態であることは、「第4」でご説明したとおりです。
 子ども達は元配偶者に連れ去られた後、私と元配偶者との長きに渡った離婚調停と離婚訴訟の間、精神的に不安定な状態に置かれました。子ども達には何の罪もないのに、強制単独親権制度においては避けられない親権争いにより、強いストレスを受ける生活環境に継続して置かれたのです。強制単独親権制度がなければ、子ども達の苦痛は相当程度軽減されていたと思います。
2 養育時間分担が阻害されたこと
また私と親権を争っていた元配偶者は、親権争いにより生じた精神的ストレスや、子どもの精神的不安定さから生じる育児ストレスを、再び子ども達に向けたことがあったはずだと思います。「第3」で述べた通り、元配偶者による児童虐待は、別居後に激化しましたが、これは、元配偶者が幼い二人の子ども達を連れ去り別居することにより、私が養育できなくなったため、フルタイムで仕事をしつつ「ワンオペ育児」を強いられる元配偶者の育児負担が限度を超えたことも一つの原因ではないかと思うのです。元配偶者は、離婚後の親権を得るために行った子ども達の連れ去り行動により、結果的に育児ストレスを増やすことになったのだと思います。
強制単独親権制度においても、養育に必要な「お金」は、養育費制度のお陰で分担することができますが、養育に必要な「時間」は、強制単独親権制度においては分担することが困難です。これが、共働き家庭が増えた現在において、強制単独親権制度の大きな欠陥の一つであると思います。なぜなら、強制単独親権制度は本質的に子どもの奪い合いであり、父母の関係を壊しやすいうえ、奪い合いは離婚後も親権者変更の申立がされる可能性があるという形で続きますから、単独親権者制度は、もう一人の親に安心して子供を長時間預けることができないのです。特に連れ去り後、判決が確定するまでの間は、連れ去った親が親権獲得を確実なものとするために、子どもをなるべくもう一人の親に会わせなかったり、もう一人の親に懐かせないようにしたりすることがあるようです。私もそのような目に遭いましたが、これが子どもの福祉にも反することは、申し上げるまでもありません。
なお、「養育に必要な『お金』は、養育費制度のお陰で分担することができる」と申し上げましたが、一般には養育費の支払率が低いことが問題視されています。養育費が支払われない最も大きな原因は、支払義務者が決められた養育費の支払いを渋ることではなく、離婚時にそもそも養育費の取り決めがなされていないことです。そして、離婚時に養育費の取り決めがなされないのは、強制単独親権制度と協議離婚の存在によって、離婚時に、離婚後の養育をどのように分担するかに関する父母の話し合いが行われにくいことが原因であると思います。つまり、強制単独親権制度は、養育費制度の運用の障害にもなっています。
離婚後には、面会交流と称される、ごく限られた時間、子どもが親権を失った親に特別に会える制度はあります。面会交流は養育時間の分担を目的としたものではないとのことですが、結果的に単独親権者は、面会交流の間、育児から解放されます。しかし、驚くべきことに、調停や審判において、面会交流の実施は単独親権を持つ親にとってはむしろ「負担である」と考えられ、面会交流時間をできるだけ少なくすることが、単独親権を持つ親の利益につながると考えられているようなのです。
面会交流の実施が単独親権者にとって「負担である」と考えられている理由は、大きく二つあると思います。一つ目の理由は、前述の通り、常に非親権者に子供の親権を奪われる可能性がある強制単独親権制度においては、子どもを非親権者に預けることが、単独親権者の心理的負担になるからであると思います。そして二つ目の理由は、面会交流が、月に1~2回、数時間程度というごく限られた時間しか行われないことを前提としているからではないかと思います。面会交流の時間があまりに短いため、面会交流の送り迎えや時間調整の手間に比べて、単独親権者が育児から解放されるメリットが小さいのです。面会交流時間の短さが、強制単独親権制度によるものであることは、「第2の2項」で述べた通りです。
つまり、養育に必要な時間の分担を阻む「面会交流は負担である」という考え方も、強制単独親権制度そのものから生じていると思います。
しかし、私と元配偶者のような共働きの父母の場合は、お金よりも、むしろ育児時間を分担することが重要になります。共働きの場合は仕事に時間を奪われるからです。「第3の1項」でもご説明しましたが、別居後、長男は元配偶者に風呂に入れてもらえなかった、殴られた、と私に訴えるようになりました。私が「どうしてそうなったの」と聞くと、長男は「着替えが遅くて風呂に入れてもらえなかった」「学校に行く準備が遅くて殴られたりした」と答えました。元配偶者はよく仕事を持ち帰って、家でも深夜まで仕事をするほど多忙でしたが、フルタイムの仕事をして時間がないなか、子どもに着替えなどの時間を取られて苛立ち、子どもに手を上げたことがあったのだと思います。
 仮に、離婚後の共同親権が認められていれば、元配偶者は、そもそも子ども達を連れ去る必要がなかったでしょう。また、離婚後も子ども達の監護教育を共同親権者である私と分担することにより、「ワンオペ育児」を行う必要がなくなり、仕事に時間を割くこともでき、時間的な育児負担とストレスは軽減されていたでしょう。そして子ども達も、元配偶者のストレスを向けられることが少なくなり、私が受ける精神的苦痛も少なくなっていただろうと思います。
子ども達の養育に必要なお金の分担に関しては、私は定められた養育費を元配偶者に毎月支払っていますし、フルタイムで働いている元配偶者にはもともと比較的高い収入があります。子どもを二人養育していることを考慮しても、元配偶者はお金に困っているという経済状態ではありません。単独親権者となった元配偶者に本当に不足しているのは、お金ではなくて時間なのです。しかし、強制単独親権制度においては、子ども達の監護教育時間をシェアする仕組みを作るのは困難で、実際にそのような仕組みはありません。この点において、強制単独親権制度は、離婚後にフルタイムで仕事をしつつ単独で子どもの養育をする親や、そのような忙しい単独親権者のしわ寄せを受けることになる子どもへの配慮が欠けている制度だと思います。
近年、国は政策として夫婦の共働きや育児の分担を推進し、夫婦が労働時間や育児時間を分担することを推奨しています。共働きの推進と育児の分担は、子どもの福祉を考えれば、必ずセットで推進されなければならない政策です。しかし、離婚後の育児の分担だけは、強制単独親権制度によって、当然のように単独親権者一人に全ての育児監護を押し付ける「ワンオペ育児」を前提とする仕組みを続けているのは、不合理です。国として共働きを推進するのであれば、子の福祉のためには離婚後も父母が育児を分担しやすくするための手当が必要であり、そのために不可欠なのが、強制単独親権制度の見直しだと思います。しかし見直しが遅れていることにより、子ども達の福祉が損なわれています。私は時間がない元配偶者に育てられる子ども達からの訴えの声を聞き、精神的苦痛を受けることになりました。
3 親権者がいなくなる危険性
子ども達は、私と元配偶者の離婚成立に伴い、強制単独親権制度である民法819条2項により、承諾を求められることなく、また子ども達の利益となるか否かは一切考慮されず、2人いた親権者を1人に減らされました。そしてその後の生活を、子ども達が成人になる日まで、1人になった親権者だけの判断に従わざるをえない状態になりました。単独親権者となった私の元配偶者が転居したり、子ども達に手を上げたり、再婚したり、再婚相手による虐待を黙認したり、さらには子ども達について養子縁組をしたりした場合、それがどんなに子ども達にとって不利益な事態であったとしても、私はそれを止めることができません。止めることができる人がいなくなったのです。実際に私は、「第3の1項」で述べた通り、子ども達から、元配偶者に虐待を受けたとの訴えを何度も聞きましたが、それを止めることはできませんでした。
また、現在の法律制度では、離婚後単独親権者となった親が再婚した場合などには、子ども達と、再婚相手との養子縁組を自由に行うことができると聞いています(民法798条は、未成年者を養子とするには、家庭裁判所の許可を得なければならないと規定する一方で、配偶者の直系卑属である子を養子とする場合には、その許可は不要であると規定している、と聞いています。)。そこで養親となる者がどのような者であっても、どれほど子ども達にとって不適切な者であるかがわかっていたとしても、離婚により親権を失った親、つまり私は、その養子縁組を止めることができないのです。それは親である私にとっては大変不安なことです。
さらに、現在の法律制度では、離婚後に子の単独親権者となった親が死亡したり、親権喪失・親権停止になったり、管理権を失ったとしても、離婚に際して子の親権を失った実親の親権は回復しないそうです。実務上は、後見が開始するとされているそうです(民法838条)。離婚に際して子の親権を失った実親は、実務では親権者変更の申立ができるとされているようですが(民法819条6項)、親権者としての地位が必ず復活することは、法律上保障されていないそうです。その場合、子の親権者がいなくなった後、後見が開始されるまでの間、そして離婚に際して子の親権を失った実親による親権者変更の申立が認められるまでの間、子は自らについて親権を行使する者がいない状態となります。それは、子の福祉の保護の理念に反することだと思います。
強制単独親権制度があることによりもたらされる、以上のような結果は、民法819条2項には子の福祉の保護の観点から、「欠陥」があることを意味していると思います。子の福祉を保護することが求められるにもかかわらず、民法819条2項は、離婚時に例外なく親権者を二人から一人に減らすよう定めています。そのため、離婚後単独親権者となった者の死亡等した場合に、子に対して親権を行使する者がいない状態が生じてしまうのです。民法819条2項が不合理であり、かつ子どもの福祉の保護に反する規定であることは明らかだと思います。
子ども達の側から見ますと、親が離婚するかどうか、あるいは再婚するかどうかにかかわらず、実の親と同じように触れあいながら成長することこそが必要であると思います。外国で離婚後共同親権制度を採用している国では、子ども達の成長のために、両親と同じように触れあいながら成長できるような配慮がされていることは上で述べました。しかし強制単独親権制度の場合は、子ども達は親権を失った親とは、面会交流と称した限られた時間に会えるだけとなるうえ、単独親権者の再婚等によって見知らぬ人を親と呼ばなければいけなくなります。しかも、単独親権者が亡くなれば、親権者がいない状態になります。
このように、子どもの立場、子どもの人権への配慮が不足しているのは、離婚の際の強制単独親権制度に限らないと思います。日本は先進国の中では未成年者の自殺率が極めて高く、児童虐待や虐待死事件が増え続けています。そして、子どもの承諾を得ない養子縁組制度や司法手続を経ない児童相談所による一時保護制度は、子どもの権利を侵害しているとして国際的にも批判されています。これらはすべて、未成年者の人権への配慮が不足しているという一つの原因によって起きている可能性があります。日本は弱い者を助ける道徳と伝統を持つ国であるはずであるのに、なぜこのようなことになってしまったのでしょうか。
子どもは辛い立場に置かれていても声をあげるのは難しいので、大人が子どもの立場を無視することは簡単でしょう。特に強制単独親権制度による離婚の場合は、裁判所も、争う親の声を聞き調整することで精一杯となり、子どもの声は親の声にかき消されてしまいがちです。しかし大人には、常に子どもの立場に立って、子どものために十分な配慮をしてあげる責任があると思います。私は、民法819条2項の強制単独親権制度も、子どもへの配慮や子どもの権利への意識が薄いがために存続が許されている制度の一つであり、実際にこの制度によって、罪のない子ども達が最も大きな被害を受けていることを、強く申し上げたいのです。そして私は自分の子ども達を含め、そのような立場にある子どものことを考えると、とても悲しく、残念な気持ちになるのです。
第7 この訴訟の目的について
 私は離婚により子ども達の親権を失う立場になって初めて、民法819条2項の離婚後強制的単独親権制度という、親の離婚の際に子どもの親を強制的に一人減らす制度が、子ども達と、母親、父親をこれまでに苦しめているという事実を知りました。この制度によって、何年も実の親に会えない子どもや、実の子に会えない親もたくさんいるのです。なんという恐ろしく、そして悲しいことであろうと思います。これまで、親を奪われる苦しみを抱えて生きてきた方達(既に成人された方もたくさんいらっしゃるでしょう)、子どもを奪われるという不条理を受け入れざるをえなかったお母さん、お父さん達の無念の気持ちを思うと、胸が詰まる思いです。そして、そのような方々の思いによっても、この訴訟が後押しされているようにも感じています。
 私自身も子ども達と別居せざるを得なくなってから5年近くが経過しました。仮にこの訴訟における原告の請求が認められたとしても、そもそも金銭で補えるのは私が受けた苦痛のごく一部分です。また、その結果によって私が親権を回復できるかどうかは別の話でしょう。そして仮にいつか子ども達との関係や親権が回復できたとしても、強制単独親権制度によって子ども達と隔離されていた時間は戻ってきません。しかしこれ以上、私の子ども達と同じような思いをする子ども、私と同じような思いをする親が出てほしくはないという思いで、この訴訟を提起しています。ぜひ十分なご審理をいただきますよう、心よりお願い申し上げます。

以上